ネオン・ミュージアムには200点以上のネオン看板が復元されていますので、私たちの歴史はかなり「明るい」と言っても過言ではありません。実際、ベガスは人魚や、カジノ、天使、ワインタワーと同じように、ネオンとも相性抜群です。ラスベガスの「ワクワクする過去」を守る方法として、ヴィンテージのネオン看板を復元するのはぴったりです。
このミュージアムのネオンが語る物語のいくつかをご紹介します。
リヴィエラ
現在は閉鎖されていますが、「ザ・リヴ」は1955年4月から2015年5月まで営業されていた、ラスベガス・ブルバード初の高層ホテルでした。ピアニストのリベラーチェがオープニングナイトを飾った後も長年、ホテルとカジノでライブ演奏を続けました。ディーン・マーティンも頻繁にライブ演奏を行い、リヴィエラの事業にも出資をしていました。
ムーラン・ルージュ
ムーラン・ルージュは、ラスベガス初のカジノ一体型のホテルとして1955年にオープンしました。同年の「ライフ誌6月20日号」の表紙にも登場しました。パリジャンスタイルのムーラン・ルージュの看板をデザインしたのは、かの有名なWelcome to Las Vegas の看板をデザインした女性、ベティ・ウイリスさんです。
ムーラン・ルージュ
ムーラン・ルージュは、ラスベガス初のカジノ一体型のホテルとして1955年にオープンしました。同年の「ライフ誌6月20日号」の表紙にも登場しました。パリジャンスタイルのムーラン・ルージュの看板をデザインしたのは、かの有名なWelcome to Las Vegas の看板をデザインした女性、ベティ・ウイリスさんです。
ジェリーズ・ナゲット
ジェリーズ・ナゲットは、ラスベガスで最も古い家族経営のカジノでした。象徴となった看板は、PBSのドキュメンタリー番組Restoration Neon にも登場、番組は職人による修復プロセスを紹介し、最終的には修復済みのネオンがミュージアムを「新しい家」とする内容でした。
サシーサリーズ
過去100年の間にファースト・ストリートとフレモント・ストリートが交差する北西側の角に店を構えた多くのビジネスのうちの一つが、1980年~1999年のサシーサリーズです。もともとは、1906年頃~1955年まで、地元住民のための「ラスベガス薬局」でした。1956年には、ラスベガス初の2階建てのカジノ「シルバーパレス」となり、「モーター階段」あるいはエスカレーターを初めて導入したのでした。同カジノは、「サシーサリーズ」になるまで、数回名称が変わりました。
ビニオンズ
ベニー・ビニオンは、もともと「ラスベガス・クラブ」のパートナーで、同クラブでポーカーゲームを一ヶ月間主催していました。これは現在の「ワールドシリーズ・オブ・ポーカー」の前身になります。賭けの制限についてクラブ側と揉めたビニオンは、「ラスベガス・クラブ」を退職し「エルドラド・クラブ」や「アパッチ・ホテル」を買収、その2軒を「ホースシュー・クラブ」と改名、その後「ビニオンズ・ホーシュー」と命名しました。利用客がカジノに長時間滞在するよう、無料で飲み物を提供したり、ギャンブル目的の利用客に来てもらえるよう、リムジンで送迎サービスを行ったそうです。また、賭金の上限はなく、どんな金額でも賭けに応じたことで有名になりました。
Lido de Paris
「リド」は、1958年に開業した「スターダスト・リゾート」のオープン初日に登場した象徴的なショーでした。その後32年間に及ぶ公演が開催され、出演者のショーガールたちは、「ラスベガス文化のシンボル」になりました。振付師のドン・アーデンは当初フランス人ダンサーたちをショーに出演させたことで、ラスベガスにちょっとしたパリを演出したのでした。
ゴールデン・ナゲット
1946年に建築された「ゴールデン・ナゲット」はラスベガスで最も古いカジノということになります。オープンしてから10年後、電気看板のメーカーであるYoung Electric Sign Company (YESCO)の革新的デザイナーであったカーミット・ウエインが、「ゴールデン・ナゲット」の上層階をネオンや白熱電球で覆いました。この建築スタイルはその後、1972年に発行された建築教本「Learning from Las Vegas」に登場する「decorated shed(=ネオンに覆われた建物)」形式の建物として名を博しました。
サハラ
1964年、「サハラ・ホテル・アンド・カジノ」は、ビートルズ公演を開催し、そのスペタクルはラスベガスのような場所でもかなり凄かったようです。ビートルズはもともと「サハラ」で公演を行うはずだったのですが、あまりにも反響が大きかったため、オーガナイザー側はコンサート会場を「ラスベガス・コンベンション・センター」の「ロトゥンダ」へ変更せざるを得ませんでした。「サハラ」は現在、「SLSホテル&カジノ・ラスベガス」という名称になりました。
ニューヨーク・ニューヨーク
「ニューヨーク・ニューヨーク」の電球は、発熱電球のような形をした蛍光灯を使用しており、展示を開始した当時、そのような看板はまだ珍しいものでした。
デザートローズ
「デザートローズ」は、ラスベガス・ストリップでも数少ないペット歓迎のモーテルでした。当時のデザートローズの常客の中には、ペットのチンパンジーと滞在する長距離トラック運転手が2名がいたそうです。
トレジャー・アイランド・スカル
「トレジャー・アイランド」がオープンした1993年は、「MGMグランド」がオープンした年でもあり、ラスベガスの象徴だった「ドューンズ・ホテル・アンド・カジノ」が解体された年でもありました。当時は、家族路線となったラスベガスの全盛期でしたので、トレジャー・アイランドは「良い子になった」ラスベガスの象徴でした。「ブカニア・ベイ」で開催された海賊の戦いや、海賊船にドクロやクロスボーン(大腿骨2本を交差した形)が付いた巨大な両面型パイロン看板(内照式小型自立看板)に、利用客は引き込まれたのでした。
リベラーチェ
ピアニストのリベラーチェは1979年、トロピカーナ・アベニューにミュージアムをオープンしました。舞台芸術や創造芸術を目指す学生の奨学金プログラムの資金調達のため、自身が所有する、宝石を散りばめた衣装、自動車やアンティーク品の贅沢なコレクションを展示したのでした。ネオン・ミュージアムに展示されている復刻版の看板には、リベラーチェ本人のサイン、名前入りの燭台やピアノが描かれています。この看板の復刻は、PBSのドキュメンタリー番組Restoration Neon でも取り上げられました。
非常に明るい昔の時代から、最高の物語は常にラスベガスの物語でした。復刻看板やラスベガスの歴史についてもっと知りたい方は、ネオン・ミュージアムへぜひいらしてください。